休日は元気

いつも一緒♪

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買い物失敗

子供達は試合だの練習だので朝から中途半端な時間にバタバタ出掛ける。
あっちはバタバタだがこっちはもたもたしてしまい、今日は取り敢えず予定の買い物に行く。
まず、新都心へ<それしか無いんかいっ!!
相変わらず紀伊国屋には欲しいものが無い。
韓韓市場であさりスンドゥプセット。にょーぼは冷麺のランチ。うまー。
ライフとイトーヨーカドーで食料品を仕入れ、一旦ウチに帰る。
荷物を置いて今度は本太のK'sデンキ。ここにはカーナビがあるのだ・・・・が、ナイ!
売り切れ続出。なんでやねん。
戻ってNOJIMAへ行ったらこっちにはカーナビは無し。そもそも家電量販店にカーナビがある方がおかしい。
しかもこっちでは買おうと思っていたHDがIO DATAもBaffaloも②千円ほど高い。なんでやねん。
かくなるうえはカーナビの実態調査の為にイエローハットへ。
そうしたら分かった。
欲しいPANASONICは現在モデルチェンジ中で生産が止まっているのだそうだ。
しかも別置型は既に何ケ月も前から品薄なのだそうだ。話にならんっ。
もう何も買わんぞ!

この連休の写真は全てケータイで済ますっ。だからデジカメなぞ当分不要っ。
そもそも外付けHDの目的は残容量10%にもなったCドライブのパーテーションをあり余るDドライブ側に移す為なのだ。
つまりは再インストールと同じ作業が必要。要するにXPでは危険なのではないかということだ。
作戦を変更せねばならん。

戦いに敗れて家に帰り、買って来た鯵をサバいて開きを4枚作成。サバは〆鯖を製造する。
夕食は焼肉と〆鯖。
ワインを冷やすのを忘れたので数ヶ月冷やしっ放しのビールを飲む。
ウチで飲むビールは旨い。
尿酸値が気になるので(実際は何飲んでも×)ビールは抑えてるんだけどね。


すとらとちゃすたーの弦を外して隅々まで磨き、新しいのを張り替える。
アニーボールのレギュラー。
柔らか過ぎて頼りないけど。
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  1. 2011/04/30(土) 23:59:59|
  2. ただの日記
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なし崩し

朝ごはんは残り物でおじや。
お茶飲んで薬飲んで荷物積んで8時ジャスト出社。
しかしやる気しねぇ。
書類を右から左に積み直し、左のを右に並べ直しているうちに昼前。
何をやっとるのだろーか。
4月度計上分の受注連絡をさばいて後の書類箱へ。
金曜と月曜休んだだけで世の中が変わってしまった様だ。
休んでた方が机の上がきれいだったつーの。

昼はまたつかさで岩海苔ラーメン。
やっぱバリバリ伝説は感動的じゃ。

15時半にお先に失礼。
Y課長も今夜の高速バスで大阪へ帰るのだそうだ。
原信で買い物してもたもたしてたら高速乗ったのが16時半になってしまった。
いつもより慎重に運転し、下大久保で洗車機に放り込み、それでもウチについたら19時半だった。
もう目ェ三角にして走るのはやめよう。そだよなー。

明日から休みじゃ!
疲れることして寝る。


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  1. 2011/04/29(金) 23:59:59|
  2. ただの日記
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憂鬱の

書けんな、この字。
憂鬱憂鬱憂鬱憂鬱ぐへ。

ダメージは日を追う毎にじわじわと積み重なって行っているように思える。
何度も考えるのだが、親父が本格的に具合悪くなっていたのはもう3年位前からだ。
いやお母んが入院・手術した時には気付いていた。
それでも普段付き合っていなかったから、家族としての苦労を味わっていたわけではない。
だからこそなのだと妹と電話で話す。
彼女もお母んもある面ではほっとした部分があるだろうが。

そのお母ん。
現時点で考えられる病状:膀胱腫瘍(癌)
実施する内容:経尿道膀胱腫瘍切除術。腰椎麻酔
定期的マーカーチェックにより疑いがあることから、4月22日の午前に造影剤入れての検査の結果、早期癌と分かった。
それで昨日から入院。本日手術の予定になった。
しかしその検査の日に親父が亡くなるという騒ぎ。
見事に親父らしい間の悪さを演じてくれたと葬式後に言い合って笑っていたのであるが、実はこの内視鏡的手術もがっつり普通に大層な手術だったのだ。
1泊2日というのはお母んの勘違い。術後の経過を見て数日の入院観察が必要。これアタリマエやないか。
大腸のポリープ取るのと訳が違うし。
そんな訳で、蓋を開けてみる迄もなく「お父さんナイス!」(妹談)という結果である。
11時半開始、12時過ぎ終了。
取った腫瘍は5mm程度と夕方妹から連絡が入る。
膀胱彫り込んだりしていないから、予定通り早期癌だったのだろう。
今の段階では心配しなくてよくなった・・・・と思われる。

そして点数のこと。
昨年10月に東松山で青キップ切られていた。
うーん、半年か。まあまあだなと。
その時はテレビ見ていて自速に気付いていなかったから完全な過失が認められ、充分反省していたつもりなのだがな。
一昨日のもまあ違反は違反だし、精神面や交通事情や時間帯の面では情状酌量の余地はあると思う。
が、半年じゃねえか。
これって累積で免停だろ。
参ったね。
この人生3度目の免停だし。しかも全部40歳以降だったりするし。
だらしねえ。
だらしねえぞ俺!
  1. 2011/04/28(木) 23:59:55|
  2. ただの日記
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えっと



今月の日記はひどいことになってるな。
そろっとこのブログの役割も終わったのかも知れない。
取り敢えず4月21日前後ということで、役割を変えようかと思い始めている。
とはいえ、日々の出来事と考えたことが長期にわたって時系列で記録されているのは現在のところここしかないから止めてしまう訳にはいかないだろう。


しかしまあ、情報量という点では減量した方がよいかもしれない。
そして「毎日」をモットーとしていたこの日記も、少しは力を抜いた方が良さそうだ。
ともあれ、親父が亡くなって6日。
何をやっていたのかよく思い出せない。
本当は明日まで会社は特別休暇が取れるのだが、昨日の夕方から出社した。
社会復帰である。

今日は普通通りに出社と思ったのだが何故か遅刻しそうになった。
しかも今日が定期健診だと言う事をすっかり忘れていた。
朝から会議。
夕方は新潟県ピークカット15%トライアルの2回目で定時上がり。


記憶が薄れていく前に記録はしておかねばならんだろう。



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  1. 2011/04/27(水) 23:59:59|
  2. ただの日記
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帰る

起きたら7時だった。
仕方無い。
着替えをまとめ、にょーぼの切干大根煮をもらって出掛ける。
セブンイレブンで久々にタバコを買い、第二産業道路へ出て、首都高に乗る。
いつも通りに国道463から関越所沢ICへ行っても時間的には変わらないのだが、通りたくなかったということだ。
何となく。
さいたま見沼から美女木。外環を大泉。気付いたら所沢を過ぎていた・・・って感じで。
天気はどんどん曇っていき、関越トンネルを抜けたら雨っぽかった。
このまま走れば午前中にアパートへ着き、午後から出社出来るか・・・・、いやあまり行きたくないな。。等と考えながらふと左を見たら抜いた白いクルマは覆面パトだった。
小出ICで26kmオーバーのやけ酒回数券を受領。
半年に一回のご奉公だな。正確には6ヶ月と20日。この辺が上手いと言うべきか。
長岡IC着が12時20分。ド平日の昼間という事をすっかり忘れていたのがスピード違反の原因である。
そのまま北越銀行へ反則金を納めに行き、少し戻ってラーメン準でモヤシラーメンを食う。
反則金も腹立たしいが、モヤシラーメンは麺が柔らか過ぎで不味かった。
こんな時に期待外れをカマされると、二度と行きたくなるのが人情というものだろう。
駐車場でお母んからのメールに気付く。
郵送で義母と義兄から香典が届いたと。電話してみたらすぐ出た。
mixiのメッセージからY、ケータイにメールでFから連絡があったと伝える。

アパートへ戻って制服に着替え、荷物も下ろさずに会社へ。出社したら皆驚いた様だ。
Tの事務処理代行に感謝。課長なんかいなくても会社は回るなと、同じく「何でもう出て来たんだよ」というEさんと笑い合う。
会社へ出てみて、思ったより自分はダメージを受けていることを実感した。
19時に上がり。
原信で食品を少々購入。
食欲というより購買意欲がわかない。

酒飲んで寝る。
ニコラジやゲームをしてヒマつぶしと思ったが、やはり疲れているのかもしれない。

  1. 2011/04/26(火) 23:59:59|
  2. ただの日記
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晴れ

変な天気予報だったが取り敢えず晴れ。
子供達はいつも通りに学校へ行く。
僕がいるのでにょーぼは会社を休んだ。
平日に2人でいることなど滅多にないので銀行等へ。
北浦和東口の信用金庫。駐車場で若干ゴタる。
その後、わざわざ西口を回って与野へ。
こっちもごった返していたが、給料日であることを思い出して納得。
向かいのHOTEIYAでプラモデルを物色するが気分が乗らずにすぐ出た。
天気が良いのでやっぱ外食かとどこへ行くか検討するも、昨日同様決まらん。
結局新大宮バイパスへ出て、浦和市場横のパスタ屋にする。
ピザと日替わりパスタ。
食事中に風が強くなって来て東の空が真っ暗になっていることに気付く。
大量の洗濯物を救済する為にウチへ急いだが、着いたら霙混じりの夕立状態で、雷まで鳴っていた。
洗濯物を取り込んで風呂場乾燥を入れた頃にはもう晴れ間が出ていたが。
にょーぼが会社を休んでいる為か、原山のドンキを希望する。
まあ大して買うもん無いのだが。
急速に長岡へ戻る気が失せた。子供の顔が見たくなったので帰るのは明日にする事にした。

2人共部活が終わって戻ったのがほぼ同時。
野菜炒めの夕食はしみじみと旨い。
コノスルの緑キャップでダウン。
  1. 2011/04/25(月) 23:59:59|
  2. ただの日記
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翌日

何の用事でそこにいたのかは分からんが、駒場の交差点を右折しようとしたら目の前が海になっていた。
しかも波打ち際がどんどん近付いて来る。慌てて右回りにUターンしようとしたら北方向も水浸しだ。
そしてどうも魘されていたらしく、隣に寝ていた1号に起こされた。
まだ4時頃だった。意味ワカラン。
いくつかの常備菜とキャベツとベーコンの味噌汁というエキセントリックなメニューで朝から結構豪華な食事。
葬儀会社の花屋が来て、祭壇を飾ってくれた。
帰省荷物をダンボールに詰めて宅配便に出す。
町内からの出入り口に八幡様の鳥居があるのでややこしい。
子供達はお母んと妹と、セキセイインコで遊んでいる。
昼食はみんなで温サラダとハヤシライス。美味。
何で先週から買い物に行っていないのにこれだけの食事が出来るのか、恐るべし実家の実力。

本当は歩いて駅まで行こうと思っていたのに、みるみる曇って雨になった。
しゃーねーからタクシーに乗る。
1メーター行くのに呼ぶのは申し訳ないと思うのだが来たタクシーの運ちゃんは愛想が良かった。
京都という所はそういう所なのかも知れん。しかも迎車料金は加算されんのだ。

地下鉄は空いていた。
中学生達が試合か何かなのだろう、エナメルバッグ背負って集合しているのを各駅で見掛けた。
女の子が一人、北山駅から御池駅までの間でおにぎり3個とタッパーのおかずを平らげていた。
京都駅というところは何故かお土産を買ってしまう所なのだな。
修学旅行生も大勢いた。京都旅行なら自粛しないってことか。
のぞみは名古屋新横浜品川しか止まらなかった。道中、京都での雨がウソの様に快晴。
東京駅をちょっとうろついて京浜東北で上野へ。上野から高崎線で浦和。浦和からまた京浜東北で与野。
要するに帰りたくない感じなのだね。
与野に着いたらまた雨である。
駅前の居酒屋で晩めしと思ったが、中高生連れでそういう所へ行っていいもんか判断出来ず、またもタクシーに乗ってしまう。


ガソリンスタンド経由で与野本町の王将へ。
帰って酒飲んで寝る。
ふう。
  1. 2011/04/24(日) 23:59:59|
  2. ただの日記
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長い日

葬儀は14時からなので午前中一家でぐだぐだする。
たけのこごはんやカレーライス等の昼食後、着替えてタクシーと自家用車に分乗して出動。
式場に着いたらまず親父の顔を見てみる。
デシマさんがもう一度顔を調えてくれたのだろう、今日はしっかり目をつぶり、昨夜より落ち着いた顔になっていた。
眺めていたら僕に気付いて説明してくれた。
早々にやってきた本家側親戚の対応。久々にイトコのマコト君が来てくれた。
献花の領収書とか。
控室のテレビでは吉本新喜劇をやっていて、特に2号とにょーぼの爆笑声が式場に丸聞こえ。
4~5年前の帰省の時の雰囲気である。
この爆笑声を聞いた親父は、何事かと居間にやって来る。
しかし空気に付いて行けずにすごすごと自室へ戻っていくのである。
ヨメとマゴの笑い声を聞いて、その棺開けて出て来りゃいいのに・・・・。

住職に挨拶と今後の説明を聞く。
まあ喪主だからって何が出来る訳じゃないから黙って話を聞くだけ。
控室に戻ろうとしたらにょーぼが血相書いて「ニシタニさんが・・・」。
何のこっちゃ。と振り返ったらそこに同期入社の同僚がいた。
たまたま大阪へ帰省したからと来てくれた。お母んと応接。
「家族葬なのに突然乱入して済みません。気を落とさないで、お疲れにならない様に」と思いもよらん言葉が出てきてうれしかった。
お参りしてくれてすぐに帰ったが、たったこれだけの為にわざわざ礼服着て大阪から来てくれたのか?
俺には出来んかもなぁ。。

定刻に葬儀開始。約45分。
家族葬にしたメリットは式が短くて済むということだ。
これはお母んの体力に丁度良い。
献花を切ってみんなで棺に入れる。ゴルフのティとグラブも入れる。
祭壇に供えてあったワンカップを開けて口を濡らし、体の周りに掛けてやる。
『花に囲まれてるなんて似合わんなあ』と冗談を言ったら一同微笑。
しかし不覚にも泣けてしまった。
僕が骨壷、お母んが位牌、妹が遺影を持って並び、出棺になる。
斎場まで行けない親戚とはここでお別れなので簡単に挨拶をする。

また雨だ。
マイクロバスに全員楽に乗れる人数ってのがいい。
街が懐かしい。
百万遍なんか何年振りに通ったのだろうか。
1号に「ココ受けてもええねんで」と声を掛けたら車内が笑った。
そこへ行けばこれで最後だから何かしゃべっていないではいられなかった。
正式には「京都市役所 保健福祉局保健衛生推進室生活衛生課中央斎場」という。
以前来たのは誰が死んだときだったろうか。幼い時の記憶からは見違えるほど近代化されていると思ったら、30年程前に改変されたのだと後で聞いた。
到着と同時に火葬場前での最後のお参りとお別れ。
棺が置かれているのはリフトとコンベヤ装備の電動ワゴンなのだ。
全員のお参りが終わったら係の人がワゴンを押し、音も無く進んで親父は火葬炉に吸い込まれて行った。
2階の待合は賑やかな雰囲気である。
混雑(繁盛?)していたが、どちらの家族もここまでくれば一安心なのだろう。
飲食禁止となっていたが、お茶を飲みながら妹がカバンからチョコレートなど出して皆でつまむ。

1時間半足らずでデシマさんが呼びに来て、火葬炉となりの部屋に案内される。
家族と一部の親戚しかいないので全員が中に入れた。
文字通り「変わり果てた姿」に2号はショックを受けた様だ。
デシマさんが親父の在り様と骨の部分、骨上げの要領や風習について説明してくれる。
全身の形がしっかりしていること、喉仏がほぼ完全な形で上がっていると。
要するにきれいに焼けたということらしい。
なるほど喉仏は合掌している様に見える・・・・・気がした。
踵から頭まで一通り骨壷に入れる。
右のすねにかすかな筋があるのは、中学の時にサッカーで折って医者にも行かずに杖付いて直したと自慢していた話の証拠なのだろうと突然思い出して納得した。墓で困るといけないので挿歯も1本入れておいた。
指の形が見事だった。手先の器用だった親父らしい。
全部骨壷に入れるのではなく、大まかに各部分を入れて、残りは京都の仏教会がボランティアで集団供養してくれるのだそうだ。
それはお盆や彼岸の頃に新聞に記事が出るとか。
残りの骨がもったいない気がして、いくらか形の良い部分を持って帰ろうと思ったのだが、ポケットに入れる為に包むものが無かったのでやめた。
惜しい事をしたと思ったが、今を思えば何故か昨日からハンカチもティッシュも携帯していなかったから、最初からそういうことは出来ない様になっていたのだろう。
当然ながら頚動脈の狭窄部に入れたステントは見つからなかった。
骨壷を整えてもらい(入れ過ぎの為に喉仏が押し潰れるから、下の骨をガシガシ押し込む)残りの骨に合掌して外に出る。
マイクロバスでブライトホールに戻る。
来た道と違って見えたのは、来た道と違う以上に親父の姿が消滅したという事実に依るものだろう。
葬儀場の向かい側の式場へ入り、初七日の式典までを終わらせる。
読経の後で住職が短い説教。皆で見送ってから解散だ。
本家の親戚には次に会う時、いつになるかわからない。
もう会えないかも分からないな。
一応喪主だからそれらしく〆の挨拶をする。

お母んとにょーぼ子供はタクシーで帰宅。
妹と僕は夕食の買い物をして帰ることに。
みんなで王将へ行こうと言っていたのだが、喪服に骨壷持参じゃいくらなんでもあかんやろと。
高野のカナートへ。
飲み物と惣菜類をどっちゃりと。
帰ったら飢えた4人がうだうだ言っていた。
お母んの疲労が気になるので早目に寝る。

疲れた。




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  1. 2011/04/23(土) 23:59:59|
  2. ただの日記
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通夜

3時半起床。致命的に眠いが仕方無い。しばらくぼーっとしてから着替えとかなんやかや。
クルマに乗ってはモノを取りに戻り、スタートしても忘れものとかいってアパートに戻る。
潜在的に行きたくねえんじゃねえの?
結局4時半頃蔵王橋を渡る。
一旦目が覚めても睡眠不足は否めない。居眠り寸前で上里SAに入る。
メシでも食うかと思ったが店やってねえもんなあ。
川越過ぎた辺りでにょーぼに電話してみる。
取り敢えず全員待機状態らしい。朝食は帰ってからということにする。

自宅着8時過ぎ。
それぞれに荷造りして10時出発。一家4人で歩くのも久々だし。
YAOKOのCDで現金を下ろし、与野の券売機で指定席空き状況を見て乗車券だけ買う。
京浜東北で東京駅迄。電車乗るのも久し振りだし。
窓口で4人席を確保して、売店で弁当を買う。これは2号のリクエスト。
相変わらずおかずの種類が多い幕の内をチョイスするところが彼らしい。
1号は鮭の親子寿司だったりするから彼らの趣味が最近分からなくなってきた。
あっという間に名古屋・京都着。たった2時間20分なのだ。
早く着き過ぎって気もするが、する事が無いので地下鉄に乗る。
終点で降りたら雨である。
傘持ってないから1メーターで悪いがタクシーに乗って自宅着。
いつもの帰省風景。但し親父がいない。
居間で世間話したりセキセイインコで遊んだりして一服。
通夜は19時からだが納棺やら打合せやらの為に16時頃自家用車&タクシーで出発。
妹と近況を話していると、21日はお母んが手術前の検査の為に病院へ行っていたらしい。
造影剤入れたりして普通にしっかりした検査だった訳だ。
それでくたびれて帰ったらこんどは親父が亡くなったと。
てんやわんやな風景と疲労困憊が目に浮かぶ。

わし:「全く親父は相変わらず死ぬ時まで間が悪いな・・・・」
妹:「(爆笑)」

地下駐車場に停め、安置所へ入ったらそこに親父は寝ていた。
一年振りなので普段なら顔見ながら一年前の記憶と繋げる作業になるのだが、相手はモノを言わんし目が落ちくぼんで人相が変わってる。
3ヶ月ばかり寝たきりだったらしくすっかり痩せてしまってるし。
腹にドライアイスのパックを抱かせてもらっているから膨らんでいるが、これをとったら体はぺっちゃんこである。
顔の皮膚が乾いて突っ張るのか、どうしても目が開いてしまう。
ほどなく家族と本家のおばさん2人がコーディネーターと安置所へ入ってきた。
家族は親父の変わり果てた姿に絶句。
共益社のコーディネータ:デシマさんは営業から見送りまで全てを担当してくれる。
昨日ここへ運び込まれてから遺体の処置状況や、これからの予定について説明。
顔にたっぷり乳液を塗って目を閉じさせてくれるが、まだ皮膚が突っ張っていて薄目にしかならない。
昔、部屋着にしていた大島紬の浴衣を着せる。懐かしい。
お母んもよくこんなもん見つけてきたな。つか、よくこんなもん取ってあったな。
デシマさんが「さすがに京都の方やからか、いい着物ですねぇ」と。そうだったのか。なるふぉろ。。
納棺の時、よいしょと声出してみたけど軽過ぎてびっくりした。
無事棺に入ってくれたので4階の式場へ移動。

続々と・・・ってか、父方のおばさん2人、父方がおじさん夫婦とおばさん夫婦と・・・。
見事な家族葬になった。
母方の親戚は明るくわいわい言ってくれるのだが、些細なこともまるで漫才だとにょーぼや子供達が笑う。
お母んとお坊さんに挨拶。葬儀は住職が来てくれるとのこと。
戒名はゴルフ好きだった親父の為にそれにちなんだものにしたとのこと。
お母んはホールインワンにちなんだのにしてもらえばと冗談を言ったが、それは難しいと苦笑された。
定刻になって通夜開始。
喪主の僕から焼香。僕が流儀を外すと後の人がみーんな間違うから微緊張。
読経約40分。
デシマさんと明日の打合せをして解散。
お母んの疲労が心配だ。

まだ実感なし。
帰ってお母ん作のうどん食って寝る。
ごくろうさん。明日はゆっくり起きてよ。


昨夜から半徹夜で長岡から浦和経由で京都に来て、まあこんなもんだよな。
  1. 2011/04/22(金) 23:59:59|
  2. ただの日記
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生産報告会

朝から会議。昼から来客と打合せ。
大概にしろよと夕方喫煙室でボヤいていたら、生産報告会の日であることを思いだした。忘れていた。
O課長から今期の生産についての質問が出たら振るよと言われたが、数字出しちゃいけないなら言うことは無いんで振らないでと懇願する。
今回はいつもより30分遅い開催になる。17時からじゃ参集の皆さんも仕事が大変だからという理由。
15分位前に会場の会議室へ向かおうとしたら私用ケータイにメール着信である。
なんだいやと見てみたらお母んからだった。
親父が死んだと。。

慌てて電話してみたら、これから葬儀屋と打合せだそうだ。
だから後で連絡する事にして生産報告会へ向かう。
終了後、工場長に事情を話す。

こー:『今晩は心おきなく納得するまで仕事してから行ってくれ。1週間休んでも何とかなるよ』

何とかなるとは思えんから悩んでるんじゃんよ。

公益社の北ブライトホールで22日19時から通夜、23日14時から告別式。
喪主は俺なのだそうだ。
訃報届を書いて、受注連絡の転記を"心おきなく"やって、上がったのは22時半だった。
まーた遅帰りの記録が守衛の日誌に残るね。
ともかくこれからだと新幹線にも乗れんからクルマになるのだが、こんなヘロヘロでは帰れんし。
帰って洗濯と風呂。台所の洗いもん。
レトルトのカレー食って取り敢えず寝る。
休み休み帰るより効率がいいと判断したのだ。しゃーねーし。
  1. 2011/04/21(木) 23:59:59|
  2. ただの日記
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