休日は元気

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長い日

葬儀は14時からなので午前中一家でぐだぐだする。
たけのこごはんやカレーライス等の昼食後、着替えてタクシーと自家用車に分乗して出動。
式場に着いたらまず親父の顔を見てみる。
デシマさんがもう一度顔を調えてくれたのだろう、今日はしっかり目をつぶり、昨夜より落ち着いた顔になっていた。
眺めていたら僕に気付いて説明してくれた。
早々にやってきた本家側親戚の対応。久々にイトコのマコト君が来てくれた。
献花の領収書とか。
控室のテレビでは吉本新喜劇をやっていて、特に2号とにょーぼの爆笑声が式場に丸聞こえ。
4~5年前の帰省の時の雰囲気である。
この爆笑声を聞いた親父は、何事かと居間にやって来る。
しかし空気に付いて行けずにすごすごと自室へ戻っていくのである。
ヨメとマゴの笑い声を聞いて、その棺開けて出て来りゃいいのに・・・・。

住職に挨拶と今後の説明を聞く。
まあ喪主だからって何が出来る訳じゃないから黙って話を聞くだけ。
控室に戻ろうとしたらにょーぼが血相書いて「ニシタニさんが・・・」。
何のこっちゃ。と振り返ったらそこに同期入社の同僚がいた。
たまたま大阪へ帰省したからと来てくれた。お母んと応接。
「家族葬なのに突然乱入して済みません。気を落とさないで、お疲れにならない様に」と思いもよらん言葉が出てきてうれしかった。
お参りしてくれてすぐに帰ったが、たったこれだけの為にわざわざ礼服着て大阪から来てくれたのか?
俺には出来んかもなぁ。。

定刻に葬儀開始。約45分。
家族葬にしたメリットは式が短くて済むということだ。
これはお母んの体力に丁度良い。
献花を切ってみんなで棺に入れる。ゴルフのティとグラブも入れる。
祭壇に供えてあったワンカップを開けて口を濡らし、体の周りに掛けてやる。
『花に囲まれてるなんて似合わんなあ』と冗談を言ったら一同微笑。
しかし不覚にも泣けてしまった。
僕が骨壷、お母んが位牌、妹が遺影を持って並び、出棺になる。
斎場まで行けない親戚とはここでお別れなので簡単に挨拶をする。

また雨だ。
マイクロバスに全員楽に乗れる人数ってのがいい。
街が懐かしい。
百万遍なんか何年振りに通ったのだろうか。
1号に「ココ受けてもええねんで」と声を掛けたら車内が笑った。
そこへ行けばこれで最後だから何かしゃべっていないではいられなかった。
正式には「京都市役所 保健福祉局保健衛生推進室生活衛生課中央斎場」という。
以前来たのは誰が死んだときだったろうか。幼い時の記憶からは見違えるほど近代化されていると思ったら、30年程前に改変されたのだと後で聞いた。
到着と同時に火葬場前での最後のお参りとお別れ。
棺が置かれているのはリフトとコンベヤ装備の電動ワゴンなのだ。
全員のお参りが終わったら係の人がワゴンを押し、音も無く進んで親父は火葬炉に吸い込まれて行った。
2階の待合は賑やかな雰囲気である。
混雑(繁盛?)していたが、どちらの家族もここまでくれば一安心なのだろう。
飲食禁止となっていたが、お茶を飲みながら妹がカバンからチョコレートなど出して皆でつまむ。

1時間半足らずでデシマさんが呼びに来て、火葬炉となりの部屋に案内される。
家族と一部の親戚しかいないので全員が中に入れた。
文字通り「変わり果てた姿」に2号はショックを受けた様だ。
デシマさんが親父の在り様と骨の部分、骨上げの要領や風習について説明してくれる。
全身の形がしっかりしていること、喉仏がほぼ完全な形で上がっていると。
要するにきれいに焼けたということらしい。
なるほど喉仏は合掌している様に見える・・・・・気がした。
踵から頭まで一通り骨壷に入れる。
右のすねにかすかな筋があるのは、中学の時にサッカーで折って医者にも行かずに杖付いて直したと自慢していた話の証拠なのだろうと突然思い出して納得した。墓で困るといけないので挿歯も1本入れておいた。
指の形が見事だった。手先の器用だった親父らしい。
全部骨壷に入れるのではなく、大まかに各部分を入れて、残りは京都の仏教会がボランティアで集団供養してくれるのだそうだ。
それはお盆や彼岸の頃に新聞に記事が出るとか。
残りの骨がもったいない気がして、いくらか形の良い部分を持って帰ろうと思ったのだが、ポケットに入れる為に包むものが無かったのでやめた。
惜しい事をしたと思ったが、今を思えば何故か昨日からハンカチもティッシュも携帯していなかったから、最初からそういうことは出来ない様になっていたのだろう。
当然ながら頚動脈の狭窄部に入れたステントは見つからなかった。
骨壷を整えてもらい(入れ過ぎの為に喉仏が押し潰れるから、下の骨をガシガシ押し込む)残りの骨に合掌して外に出る。
マイクロバスでブライトホールに戻る。
来た道と違って見えたのは、来た道と違う以上に親父の姿が消滅したという事実に依るものだろう。
葬儀場の向かい側の式場へ入り、初七日の式典までを終わらせる。
読経の後で住職が短い説教。皆で見送ってから解散だ。
本家の親戚には次に会う時、いつになるかわからない。
もう会えないかも分からないな。
一応喪主だからそれらしく〆の挨拶をする。

お母んとにょーぼ子供はタクシーで帰宅。
妹と僕は夕食の買い物をして帰ることに。
みんなで王将へ行こうと言っていたのだが、喪服に骨壷持参じゃいくらなんでもあかんやろと。
高野のカナートへ。
飲み物と惣菜類をどっちゃりと。
帰ったら飢えた4人がうだうだ言っていた。
お母んの疲労が気になるので早目に寝る。

疲れた。









どこでどうやって寝たのかよく思い出せない。
雨だ。寒いし。
思い付いて妹のクルマを借り、一家で出掛ける。
宝ヶ池のブックオフ。
子供達に少し気晴らしをしてやんなきゃだと思ったから。
1号は何か参考書が買いたいと言い出したからな。

それから北ゴルフへティーとグローブを買いに。
親父の戒名がそっち方面にちなんでいるから棺に入れてやろうと思ったのだ。
これ以上親父のことでしてやれることは思い付かない。
最後に会ったのはもう1年も前だし、その時さえイマイチの面談だったのだ。
そして棺で寝てるのは親父自身ではない。
親父だった身体で、親父の持ち物ではなく、俺ら家族のものなのだ。
納得できさえすればそれでよいはずだ。


  1. 2011/04/23(土) 23:59:59|
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