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お誕生日

陛下のご健康をお祈り申し上げます。




 先月マイコプラズマによる感染症を患い、入院を余儀なくされたことから、多くの人々に心配を掛けました。私の健康を気遣ってくれた人々の気持ちに対し、謝意を表します。退院から日もたち、皇太子に委任していた国事行為も再開することができるようになり、体調も今では発病前の状態と変わらないように感じています。今後とも健康に十分気を付けながら新年にかけての行事を務めていきたいと思っています。

 3月11日に起こった東日本大震災は、今から88年前の大正12(1923)年、10万人以上の死者を出した関東大震災以来の大きな災害で、死者、行方不明者数は2万人近くに上りました。更に後日この地震に誘発された地震が長野県の栄村を始めとして各地で起こり、犠牲者が出たところもありました。家族や親しい人を亡くした人々の悲しみはいかばかりかと察しています。また住まいや生活の場を失った人々、原発の事故で住んでいた地域に住めなくなった人々のことが深く案じられます。震災発生以後、皇后と共に被災地や各地に設けられた被災者のための避難所を訪れ、被災者を見舞ってきましたが、これらの訪問を通して、被災者が様々な悲しみや苦しみを抱えつつも、決して取り乱すことなく、強い連帯感を持ち、互いに助け合って困難を乗り越えようとしていることが感じられ、そのことを非常に心強く思いました。また日本各地で、人々が被災者のために支援活動を始めたり、何らかの形でこれに携わろうとしていることも心強いことでした。

 厳しい環境の下、我が身の危険も顧みず、専心救援活動に当たった自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、また原発事故の対応に当たった、東京電力及びその関係者の献身的努力に深く感謝しています。

 諸外国からも救援の人々が来日し、日本の救援活動を助けてくれました。また駐日外国大使等日本に住んでいる外国人を始め、災害発生後日本を訪れた多くの外国人も、被災地を訪れ被災者を励まされていることに感謝しています。震災に際して頂いた外国元首からのお見舞いの電報の多くに、自分たちは被災者と共にある、という言葉が添えられていたことが思い起こされます。

 歴史を振り返ると、我が国は、今回の地震津波災害とほぼ同じ犠牲者数を記録した明治29(1896)年の「三陸地震」を始めとし、これまでにも幾度となく地震や津波による災害を蒙(こうむ)ってきました。しかし、時の経過と共に、次第にその記憶や認識が薄れてきてしまっていたように思います。私が津波の恐ろしさに接したのは、平成5(1993)年「北海道南西沖地震」のお見舞いに皇后と共に奥尻島を訪れたときのことです。島は地震と津波で大きな被害を受けており、200人以上の死者、行方不明者が生じていました。少しの地形の違いでも、津波の高さは場所によりかなり違うこと、自動車で逃げようとした人が渋滞で助からず、歩いて高台に上がった人が助かった等と聞いたことが記憶に残っています。記録には津波の高さは青苗の市街地で10メートルを超えた所があると書かれていますから、もしこの度の被災地域の人が、奥尻島の津波災害の状況を更につまびらかに知っていたならば、一刻も早く避難することにもっと力を注ぎ、より多くの人が助かっていたのではないかと残念に思われてなりません。この度の津波災害においても、避難訓練と津波教育が十分行われていたところほど被害者が少なかったと聞き、施設面の充実と共に、今後も避難訓練と津波教育が十分に行われ、災害に当たり少しでも多くの人が危険から守られるよう願っています。

 私どもの住む日本は、四方に海を持ち、山や川も多く、風光に恵まれた島国です。一方、我が国はいくつものプレートが重なり合う所に位置し、地震が多く、火山や急峻(きゅうしゅん)な山川、日頃は人々に幸(さち)を与えてくれる海も、時に荒れ、多大な被害をもたらします。この厳しい現実を認識し、災害時における人々の悲しみを記憶から消すことなく、常に工夫と訓練を重ね、将来起こるべきことに備えていかなければならないと思います。

 今、被災地には再び厳しい寒さが訪れようとしています。住環境が十分でない所に住む被災者、殊に高齢者の健康が心配です。寒い冬を皆が少しでも健康に過ごすことができるよう願っています。

 今年は豪雨による災害も、7月には新潟県と福島県で、9月には和歌山県、奈良県他で起こりました。9月に和歌山県等で起こった台風12号による豪雨災害では、森林に覆われた斜面がえぐり取られる深層崩壊というこれまで耳にしたことのない恐ろしい現象が起こりました。こうした災害により100人以上の生命が失われたことは本当に残念なことでした。ただ注目したいのは、7月に新潟県を襲った豪雨災害では、7年前に同地域が受けた豪雨災害時の雨量より更に多くの降雨量があったにもかかわらず、前回に比べ犠牲者の数が少なかったことです。これは前回の災害を教訓として治水や住民の避難に対し、様々な対策が講じられた成果であり、防災に力を注ぐことがいかに生命を守ることになるかを教えてくれます。

 水害はタイ王国でも起こりました。国王陛下は長らく御入院中で、この水害にお心を痛めていらっしゃることとお案じしています。タイの水害は日本の産業にも影響を与え、タイにおいて日系企業が行っていた操業が不能となり、生産に携わっていたタイ人の少なからぬ人数を日本に呼び、生産を再開することになりました。言葉や生活習慣の異なるタイ人が日本での生活をつつがなく過ごすことができるよう願っています。この度の日本における災害及びタイの水害は、改めて今日の世界が様々な国の人々と共に生きる社会であることを感じさせるものでした。

 今年は先の戦争が始まって70年になります。この戦争における死者はおびただしい数に上り、戦後、こうした戦争の惨禍を再び繰り返すことのないよう、日本の人々は、真摯(しんし)に過去を学びつつ、戦後の厳しい困難に耐え、営々と国づくりに励み、今日の日本を築き上げました。戦争の記憶が薄れようとしている今日、皆が日本がたどった歴史を繰り返し学び、平和に思いを致すことは極めて重要なことと思います。

 振り返ると、今年は災害に明け暮れた心の重い年でした。しかし、被災地の人々が、厳しい避難生活の中で、我慢強く耐え、多くの人々がボランティアとして被災者を支援したことは本当に心強いことでした。日本人全体がこの震災に向き合い、被災者のために何かの役に立とうとしていることを感じています。本年もあと僅(わず)かになりました。新しい年も被災者に心を寄せつつ過ごしていきたいと思っています。来る年が少しでも良い年となるよう願っています。








 宮内庁が発表した天皇陛下の「この1年のご動静」は次の通り。

 今年3月11日、東日本大震災が発生し東北地方を始めとする広範な地域に甚大な被害をもたらしました。陛下は震災発生直後にビデオメッセージを発表されたほか、震災後間もなく皇后陛下とご一緒に被災地や避難所をご訪問になるとともに、状況把握のため多くの関係者からご説明を受けられました。例年のお仕事に加え、数多くの災害関連のお務めを果たされ、極めてお忙しくかつご心労の多い年でした。陛下はこの1年も国事行為としてほぼ毎週2回のご執務を行われ、内閣よりの上奏書類等957件にご署名やご押印をされました。儀式や行事としては、内閣総理大臣の親任式、認証官任命式(国務大臣始め109人)、新任外国大使の信任状奉呈式(34人)、勲章親授式(大綬章、文化勲章)及び勲章受章者の拝謁(はいえつ)などに臨まれました。また、皇后陛下とご一緒に各界優績者の拝謁のほか、午餐(ごさん)や茶会など多くの行事に臨まれました。これらの行事は主として宮殿で行われましたが、東日本大震災に伴い発生した福島第一原発事故等に起因する節電要請に応えるべく、従来宮殿で行われている行事の一部は御所で行われました。そのほか、御所で恒例の日本学士院会員、日本芸術院会員、文部科学省研究振興局長とその推薦する研究者、青年海外協力隊帰国隊員及び青年・シニアの海外ボランティア・日系社会ボランティア代表、国際交流基金賞受賞者などと両陛下でお会いになったほか、定例の外務省総合外交政策局長によるご進講や各種行事に関するご説明などが合わせて54回ありました。これに加え、東日本大震災に関し、諸分野の関係者や専門家より33回にわたりご説明を受けられました。このほか勤労奉仕団、賢所奉仕団や新嘗(にいなめ)祭のための献穀者に対し53回のご会釈がありました。

 今年は外国へのご訪問はありませんでしたが、来日した各国からの賓客を宮殿や御所で接遇されました。元首としては、ウクライナ、ウズベキスタン、セルビア、フィリピン、ドイツ、コスタリカ、パキスタン、トーゴ、インドネシア、コロンビアからの訪問があり、訪日の形式に従って午餐やご会見の場を持たれました。このほか、首相または国会議長としては、オーストラリア、インド、ベトナム、モンゴルがあり、王国からはトンガ、ブータン(注:王妹殿下)、ルクセンブルク、デンマークからの賓客へのご接遇がありました。また、アメリカ合衆国から来日した旧知のヒラリー・クリントン国務長官、ダニエル・イノウエ連邦議会上院仮議長夫妻の接遇もありました。新任の外国大使夫妻を招かれてのお茶、日本滞在が3年を超える外国大使夫妻のための午餐、離任する大使夫妻のご引見は例年どおり行われました。一方、日本から外国に赴任する大使夫妻にもその都度、皇后陛下と共にお会いになっており、また、赴任先から帰国した大使夫妻も全員お茶に招かれ、任地の話をお聞きになりました。なお、11月にブータン国国王王妃両陛下が国賓として来日の折には、後述のとおり、陛下ご不例のため皇太子殿下がご名代(みょうだい)として諸行事を執り行われました。

 都内及び近郊へのお出ましとしては、陛下は国会開会式に臨まれ、また、両陛下にて全国戦没者追悼式を始め、毎年ご臨席になっている日本芸術院賞、日本学士院賞などの授賞式のほか、今年も数多く行われた各種周年記念式典などへのご臨席があり、節目の年の式典ではお言葉を述べられました。また、ご即位20年に当たり天皇陛下からのご下賜(か・し)金を受けて創設された育志賞の第1回授賞式及び記念茶会が2月に開催され、ご臨席になりました。今年も5月のこどもの日、9月の敬老の日にちなんで、関連施設をご訪問になり、関係者を励まされました。なお、例年12月に行われている障害者週間のご訪問は、陛下ご不例のため来春に延期されました。また、11月29日、陛下ご退院後間もなく、ご体調も万全ではない中、東日本大震災消防殉職者等全国慰霊祭にご臨席になり、殉職者を追悼され、遺族に心を寄せられました。都内及び近郊へのお出ましは合計37回でした。

 例年ご臨席になっている日本学術会議主催の国際会議としては、9月に北海道で行われた国際微生物学連合2011会議記念式典にご臨席になりました。(皇后陛下は頸椎(けいつい)症性神経根症の症状がお出になったため、ご同伴をお取りやめになりました。なお、皇后陛下が地方への公式行事でご同伴をお取りやめになったのは1993年以来2度目、18年ぶりのことでした)

 今年の公的な地方行幸啓は先述の北海道を含め12道県(神奈川、埼玉、千葉、茨城、宮城、岩手、福島、和歌山、群馬、北海道、山口、鳥取)にわたりました。全国植樹祭(和歌山)、国民体育大会(山口)、全国豊かな海づくり大会(鳥取)などの式典にご臨席になり、併せて、地方の文化、福祉、産業の事情をご視察になり、ご訪問先や沿道、沿線でお迎えする大勢の人々の歓迎にお応えになりました。東日本大震災関係では避難者・被災者をお見舞いのため3月から5月にかけ、7週連続でお出ましになり、避難所としては東京武道館(3月30日)及び埼玉県加須市(4月8日)を、また被災地としては千葉県旭市(4月14日)、茨城県北茨城市(4月22日)、宮城県(4月27日)、岩手県(5月6日)、福島県(5月11日)をご訪問になり被災者をお見舞いになりました。その後、8、9月にも都内及び千葉県東金市に出向かれ、被災者やその世話に当たる人々をねぎらわれました。この1年に公的に地方行幸啓先でご訪問になった市町村数は24市、5町、1村になります。

 今年は那須御用邸に7月下旬にお出ましになりましたが、その途次、御料牧場にお立ち寄りになり地震による被災状況をご視察になった後、那須町では東日本大震災に伴う福島県からの避難者をお見舞いになったほか、例年どおり農家をご訪問されました。また、那須御用邸用地から環境省に移管され、今年5月から一般公開された「那須平成の森」のフィールドセンターが開館し遊歩道が整備されたのでおいでになり、同所を訪れていた人々と共に自然を楽しまれました。

 宮中祭祀(さいし)は、陛下は恒例の祭典のほか、一條天皇千年式年祭など21回の祭典にお出ましになりました。なお、新嘗祭は、陛下はご不例のためご欠席になり、掌典長(しょうてんちょう)によるご代拝となりました。また、毎月1日の旬祭は5月と10月(今年は山口県へ行幸啓中につきご代拝)以外はご代拝により行われています。

 「日本産魚類検索―全種の同定」には、陛下はその第1版(1993年)からハゼ類の項目に関わってこられましたが、今年も昨年同様に、その第3版の改訂の作業が行われており、皇居内生物学研究所で、月に3回ほど編集者の中坊徹次京都大学教授と生物学研究所の職員らを交えて、ハゼの分類の検討を行っていらっしゃいます。月に1度の魚類分類研究会は今年4月までは国立科学博物館分館で行われておりましたが、5月からは上野にある同博物館本館に移り、今年は分館1回、本館3回計4回ご出席になりました。

 陛下は今年も例年どおり、皇居内生物学研究所の田で種籾(たねもみ)のお手まき、お田植えをなさり、お手刈りをなさいました。また、陸稲と粟(あわ)をお子様及びお孫様方とご一緒に種をまかれ、刈り取られ、粟は新嘗祭の折、お手刈りになった水稲と共にその一部をお供えになりました。また、神嘗祭に際しては、お手植えになった根付きの稲を神宮にお供えになりました。

 陛下は今年1月にお受けになった心機能検査の結果を踏まえ、2月に東大病院にて動脈カテーテルによる冠動脈造影検査をお受けになったところ、冠動脈全体にある程度の動脈硬化が確認され、冠動脈狭窄(きょうさく)も認められました。ご治療として薬物ご内服を続けていただき、無理のない範囲で運動をお続けいただきながら、従来どおりの日常生活をお過ごしいただいてきました。また、11月初めより気管支炎による発熱が見られたため、大事を取って11月6日夜から東大病院にご入院になりました。ご入院中に、おせきとお熱が悪化し、軽度の気管支肺炎と診断されました。この原因はマイコプラズマであったことが、後に確認されています。その後ご症状が回復したため、11月24日にご退院になりましたが、ご退院後もしばらくの間、御所にてご療養いただきました。病院・御所でご療養の間、11月7日から12月6日まで、皇太子殿下に国事行為臨時代行を委任され、また、国賓を始め幾つかの行事にご名代としてご差遣になりました。また、2003(平成15)年の前立腺がんのご手術以降、再発に対するご治療としてお続けいただいているホルモン療法の副作用として骨密度の低下による骨粗鬆症(こつそしょうしょう)発症の予防を始めご健康維持のため、ご運動に努めていらっしゃいます。早朝には御所の近くを、また日曜日の朝には東御苑をご散策になり、ご公務のない週末や休日にはテニスなどのご運動に努めていらっしゃいます。このところ、震災やご入院等でほとんどテニスはおできになっていらっしゃいませんが、早期にご健康を回復され、皇后陛下とご一緒のお元気なお姿をテニスコートで拝見するのを心待ちにしています。

 天皇陛下は12月23日、78歳のお誕生日をお迎えになります。

 当日は、午前は御所で侍従職職員から祝賀をお受けになった後、宮殿で皇族方を始めとし、5回にわたり祝賀をお受けになり、また皇族方とお祝酒を共にされます。なお、この間3回にわたり長和殿ベランダに立たれ国民の参賀にお応えになります。午後は三権の長、閣僚、各界の代表との祝宴に臨まれ、その後、外交団を招かれての茶会、次いで元側近奉仕者等との茶会に臨まれます。夕刻には、この日の最後の行事であるご進講者、ご関係者との茶会に臨まれた後、お孫様方のごあいさつを受けられ、皇后陛下、お子様方とのお祝御膳をおとりになります。



  1. 2011/12/23(金) 13:41:46|
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